努力する意義とは
努力の意義について考えてみます。
エジソンが「“ひらめき”を得るためにこそ“努力すべき”ことなのに、そのことが分かっていない人があまりにも多い」、あるいは、「天才は99パーセントの努力と1パーセントのひらめき」という言葉を残しています。
ネットで「努力、天才」という言葉を検索してみると、「凡人がいくら努力をしても、天才には勝てない」「努力しない天才もいる」などと様々な意見が書かれています。
努力のレベル、あるいは天才にも様々なレベルのものがあり、その定義というものはありません。
努力という言葉は、「自らの意志を奮い立たせるもの」あるいは「自らの意志の方向付けをする手段」と捉えればよいもので、他人や天才と言われる人と比較しても意味のないものです。
「努力という向上心」が大切なものと言えるでしょう。
「向上心」とは、常に向上、上昇するための「翼角をもった心の運営」です。
世の中、即ち、文明、文化、社会の仕組み、科学技術など人間社会の過程は、常に進歩発展しています。常に上り坂であり、Y=aX(aは正の値)のような右上がりの線のようなものです。
したがって、社会発展の過程の「右上がりの線」を「横軸」に取り直して考えてみると、「現状維持は、下り坂、右下がりの線」になると言うことです。
人として社会の中で活動し、貢献あるいは役立っていくためには、この世の中の右上がりの線と同じか、それ以上の努力をすることで、結果は随分異なってきます。
「現状維持の考え方」、「現状維持で何もしなくても良い」と考えることは、時間の経過とともに、不具合な経過をとり続け、最後は社会の発展の課程から大きく取り残されるということです。
一般的に、天才と言われる人たちの話を聞くと「努力して達人の域に達した時に、その努力に応じたヒラメキというものが見えてくる」そうです。
「熱意だけではだめ」で、その中身が大切なようです。
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